被告は頑なに「無罪」を主張。東池袋暴走事故初公判

昨年4月、東京 池袋にて発生した自動車暴走事故の初公判が東京地方裁判所にて行われた。旧通商産業省工業技術院の元院長、飯塚幸三被告(89)は起訴内容を否認し無罪を主張した。

今回の初公判の争点と飯塚幸三被告がどの様な人物なのか探って行きたいと思う。

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事故の内容・状況

 

2019年4月19日に東京都豊島区東池袋4丁目にて飯塚幸三被告が運転していた自動車が、蛇行運転を繰り返しながらアクセルとブレーキの踏み間違いにより横断歩道に侵入、歩行者・自転車を含む計11人を死傷させた

これにより飯塚被告は自動車運転処罰法違反(過失運転致死傷)の容疑で書類送検、在宅起訴された。

この事故で、自転車で横断歩道を横断中の松永真菜さん(当時31歳)と娘の莉子ちゃん(当時3歳)が亡くなった。夫の松永拓也さんによると真菜さんは約50m弱、莉子ちゃんは約10m跳ね飛ばされ即死だったという。二人の乗っていた自転車は2つにちぎれ真菜さんははねられた衝撃で信号機の高さまで飛んだと後の取材で判明した。

このことから車が衝突した衝撃の大きさがどれほどのものであったかが理解できる。ちなみに事故が発生した道路の制限速度は時速50キロ、それに対し飯塚被告は46キロオーバーの96キロで走行していた。

事故直後の警察の取り調べにおいて飯塚被告は「アクセルは踏んでおらず、車に何らかの以上が生じたため暴走した」と答えている。

当時被告が元官僚ともあり現行犯逮捕されなかったことや、以前の肩書でメディアに取り上げられたこともあり世間からは「上級国民」に対する忖度などと批判のコメントが殺到するなど大きな話題となった。

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飯塚幸三とはどんな人物だったのか

 

1931年(昭和6年)6月1日 現在の東京都中野区(以前は東京府内と呼称)生まれ。太平洋戦争による空襲を経験する。

大学は当時新制されたばかりの東京大学理系1類に進学、工学部応用物理学科にて計量工学を専攻する。1953年に通産省工業技術院に就職し1989年に退官した。

1991年に機械メーカーであるクボタの常務、専務、副社長を歴任。クボタ在籍時に技術開発本部を組織するなど社内では勢力的に活動した。

2000年にクボタの副社長を退任し顧問に就任、計量の分野において後進の育成に注力した。

初公判の様子

 

事件から1年半が経過した東京地裁では事件後初となる裁判が行われた。妻と娘を失った松永卓也さん(34)と妻の真菜さんの父親の上原義教さん(61)遺族らは被害者参加制度を用いて傍聴に望んだ。

飯塚被告は車椅子で弁護人の付添を得て入廷、手には杖が持たれ証言台に立つとき台に手を付き弁護人が支える形で証言を行った。

飯塚被告は裁判冒頭で「愛する奥様とお嬢様をなくされた松永さんのご心痛に言葉がありません、深くお詫び申し上げます」といい遺族に向け頭を下げた。

その後、起訴内容については「当時アクセルとブレーキの踏み間違いはなく、車に何らかの異常が起こり暴走した。暴走を止められなかったことは大変申し訳無い」と発言し謝罪した上で改めて無罪を主張した。

検察側は被告の車は定期点検を行いどこにも問題はなく、車のデータからもシステムの故障は見られずブレーキを踏んだ形跡がなかったことから、今回の裁判では過失の有無が争点となっている。

裁判後、遺族側が会見を開き被害者の松永拓也さんは「2人の命と向き合っていない、車の不具合を理由にするなら誤ってほしくない。謝るなら罪を認め判決が出た後でいい」と話した。

次回の公判は12月を予定しているが、この事故での裁判は長期化が予想されおり被告が高齢のため裁判の判決が出る前に天寿を全うし裁判が中止されないか心配の声も上がっている。

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まとめ

 

この事故は高齢者ドライバーが起こした事故として全国に大きな影響を与えました。実際に2019年の高齢者による自動車運転免許証の返納件数が過去最多の60万1022人にのぼった。

今回の裁判をにて二度とこの様な事故を起こさないためにも私達は今一度、自動車運転に対して考えを改め、個々で対策を講じることにより自動車事故を減少させることができるはずだ。

最後にこの事故により亡くなられた方にご冥福をお祈りするとともに、被告には真実をしっかりと語って欲しいと思います。

 

 

 

 

 

 

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